えーと

メールするのは22時頃にします。そして現在ビートルズ垂れ流し中。眠くなってきた。ていうか寒いですよ。ていうか筋肉痛が日々ひどくなっていきますよ。ていうか明日ダンスですよ。ていうか眠いですよ。嗚呼。ただ一切は過ぎて行きます。

 私が二階で退屈して、外をぶらぶら歩きまはり、茶店の背戸で、お洗濯してゐる娘さんの傍へ近寄り、「退屈だね。」と大声で言つて、ふと笑ひかけたら、娘さんはうつむき、私はその顔を覗いてみて、はつと思つた。泣きべそかいてゐるのだ。あきらかに恐怖の情である。さうか、と苦が苦がしく私は、くるりと廻れ右して、落葉しきつめた細い山路を、まつたくいやな気持で、どんどん荒く歩きまはつた。
富嶽百景太宰治

青空文庫からコピペ。別にどうってことない出来事なんだろうけど深読みしてしまう。こういう瞬間私は私のことが嫌いになる。だって自分が感情移入とかいう全く奇妙な嫌らしい考えを抱いているのだもの。私は「娘さん」であり「私」であり、またこのシーンを客席から眺めている観客である。感情移入というのは、本当に、不毛な行為だ。「行為」とタイプして一番最初に「好意」と出てくる。不毛な好意。そう言えるかもしれない。そして、こういうことをつらつら考えてるときに、やっぱり私は芝居が下手なんだなぁと思う。自分が思ってるより一回りも二回りも芝居が下手だ。分からないんだよ、自分が客席からどう見えているのかが。この間気まぐれを起こして「夏雲」のDVDを見た。私の演技はナルシズムでいっぱいだった。声が声のみで届いている。肉体が伴ってない。観客席のすすり泣く声は活字情報に泣いているのであって私の演技に泣いているのではない。等々眠くなってくるとこういう文章が書きたくなるみたいです。さあ「匣の中の娘」の娼婦のようにご唱和いただきたい。「馬鹿、気違ひ」