いとおしいもの

あたしはもしかしたら曖昧なものをひどく好むきらいがあるのかもしれない。実直なものに怯えてしまう。実直な言葉はそのまっすぐさでいろいろなものを切り裂いていく。不正だって、虚飾だって。だから自らの思想信条を叫んだり宣言したり囁いたりできる人が羨ましくて、そしておそろしい。
言葉には体温がない。だから愛おしい。言葉は嘘をつかない。「実直な言葉」と言ったけれど、言葉そのものはいつだって実直に違いない。言葉に体温を感じるときは、それを発信した人の息遣いを感じた、ということと同じだと思う。だからおそろしい。言葉は記号化することができる。だから羨ましい。言葉は常にツールだ。言葉は一人歩きしないし、できない。後ろには常に人がいる。だから愛おしくて羨ましくておそろしい。
だから、みんな嘘なんです。言葉なんて信用しちゃいけません。信用できるのは身体だけです。身体は曖昧だから好き。けれど曖昧は罪。言葉は善。贖罪は仕様のないこと。嘘も、仕様のないこと。身体だけが一等正直だけど、為すことは、きっと罪。