ぼくたちのyaneuraroman(仮)

「どうして貴方を生んでしまったのか、私はときどき後悔しているのよ」

madameが口を開いて言った。ときどき後悔している、というのはmadameの口癖だ。ときどきなどと言いつつ、口数自体が少ないのだから、いつもと言い換えるべきだろう。けれど僕は何も言わない。madameの言葉に、じっと耳を澄ます。

madameは安楽椅子に座っていた。そこから世界の全てを見回していた。madameにとって世界の全てとは、この屋根裏のことだ。いくつもの油彩に囲まれて。madameは油彩を描くことが子供の頃からの習慣だったらしい。僕がまだここに来たばかりの頃、madameからそう聞かされた。自分は父を早くに亡くした、その父の忘れ形見が、絵を描くことだ、と。今でも時折むくりと安楽椅子から立ち上がっては、絵筆を握っている。

「どうして貴方を生んでしまったのか……Hiver……貴方は私の生んだ子の中で一番よく出来た子だわ……一番末っ子なのにね……可愛いHiver……こっちに、おいで」

madameの言葉に従う。僕に、意志はない。madameもまた立ち上がって、部屋の片隅に置かれた、比較的小さなキャンバスを手にした。

「私はね……貴方が死んだら、棺にこの絵を入れてあげるつもりなの」

その絵には、少女がふたり描かれていた。紫の衣装を着た少女の手には菫の花が、水色の衣装を着た少女の手には紫陽花が、それぞれ持たされていた。ふたりは片手で花を持ち、空いたもう片方の手でお互いを繋いでいた。まるで双児のように。

「菫の少女はViolette、紫陽花の少女はHortense。貴方が冥府の門に辿り着くまでのお供を勤めてくれるわ」

ふたりの少女は、じっと正面を見つめているようで、その先の哀しみを、その瞳に映しているようだった。madameはキャンバスを僕に手渡して、なおも饒舌に続けた。

「母より子が先に死ぬのは、あまり褒められたことではないのだけれど……貴方はよく出来た子よ、それは本当よ……けれど、貴方は私より先に、遠くへ行ってしまいそうな気がするの……」

madameは、屋根裏の小さな窓の、外を見つめた。madameにとって世界は屋根裏の端までだ。その外にmadameの意識が及ぶことはない。ただ不安を暗示する仕草としての、屋根裏の『外』だ。僕には青空が見える。その内に僕もmadameの言うとおりに死んでしまうのだろうか。死ぬというのは不安なことなのだろうか。哀しいことなのだろうか。僕は無知だ。madameは、……madameもまた、無知に違いない。

「好きなだけ……この絵を眺めてなさい」

madameは安楽椅子に再び座った。ここがmadameの居場所で、世界の中心だ。


そうして僕はふたりの少女と対峙する。少女……そのあまりにも整った目鼻立ちは、人形と形容してもいいような気がした。人形……そういえばNoelは元気にしているだろうか。腹違いの妹であるNoelと離別し、この屋根裏に来てからどれだけ経っただろうか。ここには時間が流れていないように思えてしまう。madameは依然、老いずに暮らしている。

Noelの作っていた人形は、このような少女をかたどった人形ばかりだった。そしてそれぞれに名前を付け、物語を作って、僕たちは日々を遊んだ。Loraineは貴族の娘だけれど、使用人と駆け落ちをした……Monicaはアルモニカがとても上手……噴水公園を宛てなく彷徨う身重のChloe……僕たちの話は延々と続いた。けれどもそれは過去の話だ。その頃の想い出は全て、白い霧に覆われたように、または古い映画を映写機で回したように、ぼんやりと壊れやすく、僕の中に存在する。


ふと顔を上げると、madameの安楽椅子がゆらゆらと揺れていた。どうやら眠ったみたいだ。madameが眠ってしまうと、僕の仕事はなくなってしまう。そういうときは、僕もmadameに倣って、屋根裏の角の方で眠る。まだ陽は高い。けれども屋根裏には関係のない話だ。毛布にくるまり瞼を閉じる。傍らに、双児の人形を据えて。