一億総アイドル化が実現する話

同時に、twitterの話。
そのidによって連想されるイメージ(固定観念とも呼べるかもしれないもの)は、もともとはそのidを管理する個人の発言によって形成されたものだけれど、そのイメージはいつの間にやらその個人の管理するところではなく、もっと広い、コモンスペースで管理されることとなる。そして、自らもそのイメージに引っ張られる、あるいは極端に反発する。特にtwitter中毒みたいなユーザに、そういう感覚を持った人は少なくないんじゃないかと思う。
というのも、自分自身がそうじゃないかなと思ったわけで。アイコンをアニメキャラにしていたり、気軽に奇声(……)なんかをpostしていたりする内に、"私自身"ではなく"sillat"という作り上げられた人格が周りの中に出来上がっていってるんじゃないか、と感じました。自意識過剰と言われたらそれまでだけど。かなり気にしていた時期は、自分でもこんなpostをしてたりとか。そのイメージを突き崩すために、自分の身分を省みずにあえて危険な発言をしてみたりとか。中二病かおのれは。
同時に、日常的にtwitterを利用することで、一挙一動や発言を逐一取り上げられてやいのやいの言われる政治家みたいな効果が得られるわけですね。何度も言われているようなことだろうとは思うけれど、twitterはそのシンプルな機能ゆえに、blogよりも言ってることがはっきりしやすい。発言のひとつひとつにパーマリンクが与えられているのはblogのエントリでも一緒だけれど、最大でも全角140字の小規模な発言にパーマリンクが与えられていることはある意味おそろしい。政治家の演説まるごと新聞に載るより、ひとことだけの爆弾発言が大きく取り沙汰されやすいのはもう身をもって知っている。
どうも私たちは、無機質な文字列で構成されたidの向こう側に生身の人間がいることを忘れがち。それはたぶん、テレビの向こう側で音楽に合わせて踊ってるアイドルへの認識と一緒。だってアイドルはうんこしないもんね(笑)


以上、自分へのどうしようもない弁護。