「大食子子子」(タイショク・シイ)劇団飛び道具

日曜日に見てまいりました。受付周りのお手伝いさせていただきました。
長男と次男と三男。それぞれが妻を伴って実家に帰省してくる。テーブルの上にはたくさんの出来たて料理が。しかし父母はいない。なぜかいない。なぜか帰ってこない。待ってる間に近所の消防士が「この家はガラクタだらけで退路がない」と言ってやってきて勝手にビール飲んだり、父が開いている塾の生徒がやってきたりする。何の塾かはいまいち解らない。色見本に綴られた日記。子どもの頃からやっている裏山の工事。子どもの頃飼っていた犬が今でも吠えている。人間に換算すると140歳だという。
どこに着地するか解らない、手探りのような感覚で進む芝居。それでもあんまり不安を感じないのは、役者がみんなベテランだからだと思う。京都の小劇場界では結構年長な劇団でしょう。大内卓氏の脚本は、パラフィン紙のように薄い、ひとの記憶を幾重にも重ねたものを正面から見た、みたいな感じ。分厚さは感じないのに、情報量はたくさんある、でも薄れがかっている、ひとの記憶。
今回は割と不条理系。終わってもすっきりしない。ただ一夜の顛末。ただそれだけ。その潔さをどう評価するかは、それは個人の自由でしょう。私はあの「ほったらかし」加減が好きでした。